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打川和輝は元投手だった!吉田選手に誘われて投手諦め金足農業へ!

第100回甲子園大会の熱い戦いが終わりました。

決勝戦は大阪桐蔭と金足農業の対戦。

6回より、吉田輝星投手と交代でマウンドに立った打川和輝選手。

打川和輝選手は、金足農業ではサードで4番バッターですが、実は元々中学時代はエースピッチャーだったそうです!

なんと吉田投手に金足農業への進学を誘われ、打川和輝選手はピッチャーを諦めたのだとか。

打川和輝選手についてまとめました。

打川和輝が5回終了後に吉田にかわり、マウンドへ

今回の甲子園大会ナンバーワン投手の吉田投手は心配されていた連日の連投により、もう投げられない状態に。

5回12失点でマウンドを降り打川和輝選手に交代しました。

最終的には、この決勝戦は13-2で負けました。

しかし、それまで内野手、4番バッターとして吉田投手を援護してきた、キャプテン打川和輝選手。

185cm90kgの作り上げた身体で、甲子園では打率.263、19打数5安打、2打点とチームを盛り上げてきた。

急遽のピッチャーとしての起用に対応し、6回から9回まで、好投。

失点は1点のみで、本当によくぞ抑えた、マウンドを守り抜いた、と称賛の声が上がっています。

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打川和輝は元々投手でエースピッチャーだった!

打川和輝は元々投手でエースピッチャーだった

出典:ツイッター

なんと打川和輝選手は、中学時代は投手でエースピッチャーだったのです。

出身中学は、秋田市にある秋田市立泉中学校

ここでは打川和輝選手はエースピッチャーであり、金足農業とは別の競合校に進学し、投手として活躍することを夢見ていました。

打川和輝と吉田投手の出会いは

吉田輝星選手の中学潟上市立天王中学校。

二人はどこで出会ったのでしょうか。

実は中学の軟式野球が終わった後、打川和輝選手は高校入学前に硬式に慣れておきたくて「秋田北シニア」に入りました。

「秋田北シニア」は中学3年生コースを用意しています。

中学3年生コースは、平日2回+土日に現役のシニア選手達と一緒に練習できる機会を設けていて、高校でも野球を続け、活躍したいと考えている中学3年生に、現役のシニア選手との合同練習で高校野球への準備をすることが目的。

高校注目の県内のトップレベルの選手達と共に練習する機会があり、また、社会人野球などで活躍した実績のある指導者から直接指導を受けられる。

そこに高校野球での活躍を目指していた、菊地彪吾君、吉田投手、菅原天空君を含めた、現金足農業の中心メンバーが揃っていたのです。

打率.350、20打数7安打、3打点と、1番バッターで2塁を守った、菅原天空君のお父さんである、天城さんは金足農業の出身で、現在金足農業野球部のコーチ。
しかも、吉田投手の父と同級生だったのです。

みんなで金足農業に行こう!打川和輝も吉田に誘われ

そこで、仲間となった現チームのメンバーが、さらにシニア以外からの知ったメンバーも加え、お互いの実力を知った上で「このメンバーなら、甲子園に行ける!」そう実感し

「みんなで金足農業にいって、一緒に野球をやろう」と団結した仲間っだったのです。

吉田投手は打川和輝選手を誘ったときのことを「お前も来いよって、無理やり引っ張りました」と語っています。

中学時代も県内ナンバーワン投手だった吉田選手と同じ高校に行けば、ピッチャーの夢は諦めなければいけないことは、あまりにも歴然としていました。

出典:ツイッター

しかし、打川和輝選手は、吉田君と野球がやりたい、とピッチャーの夢を諦めて金足農業に進学したのです。

「中学の時、吉田に”金農に行こう”と誘われた。吉田は秋田でもナンバーワンのすごいピッチャーで、同じ学校に入れば自分は絶対エースにはなれない。でも、あいつと一緒に野球がやりたかったんです」

そして、初戦敗退が続いていた秋田勢でありながら、103年ぶりに甲子園の決勝へ進出。

自分の夢を捨てても仲間と追い求める夢をとった打川和輝選手。

縁の下の力持ちとして、キャプテンとして、内野手、4番バッターとして、金足農業野球部を支えました。

まとめ

金足農業に進学するときに、ピッチャーの夢を捨てて、吉田君という仲間をとった打川和輝選手。

それが最後の甲子園の決勝戦で、ピッチャーとして、吉田君からマウンドを引き継ぐ。

打川和輝選手が最後まで抑えました。

まるで物語のような美しい試合でした。

感動しました。

これからも打川和輝選手は活躍してくれることでしょう。今後も楽しみにしたいと思います。

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