八村塁選手は富山県出身のバスケ選手。ベナン共和国出身の父と日本人の母の間に生まれたハーフです。
NBAでドラフト候補に急上昇で、現在はゴンザガ大学に所属しています。
英語力については、八村塁選手がゴンザガ大学に入学するにあたり、厳しい基準をクリアする必要がありました。
しかも八村塁選手は実は高校時代は明成高校ではバスケ中心の生活をおくっていて、勉強は二の次、当然英語は喋れなくて、実は入学までには英語を猛勉強していたのでした。
八村塁選手が英語を話す動画を見ると、ネイティブなのか、と思いましたが、実は努力の猛勉強の結果なのでした。
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八村塁の英語がネイティブみたい!
八村塁選手の英語でのインタビューなどをみると、とても流暢で英語ペラペラなのです。みてみましょう。
八村塁の英語の動画
【シーズン開幕】
NCAAも開幕しました!
ゴンザガ😸大学所属の八村塁@rui_8mura 選手は33得点の大活躍💮
今シーズンNBAドラフト上位指名を予想されています👍納得です‼️
英語もとても上達していますね😹via @SWXRightNow
pic.twitter.com/JEJ2q34jcD— パワーハウス岐阜 (@phgifu) November 7, 2018
八村塁選手の英語がネイティブのようだ、と評判です。以下の動画をみていただければわかると思いますが、とても自然に英語を話していますよね。
筆者の知人の英語が達者な方でも、八村塁選手のインタビューは元々喋れたネイティブなのだ、と勘違いしていました。
この八村塁選手のインタビューを見ると、渡米前は全く英語が離せなかったとは、想像がつきませんよね。
ゴンザガ大学の入学条件が厳しかった
八村塁、英語ペラペラになってる!全然喋れんかったのに凄いね!うんと勉強したんですね🏀【バスケ】八村塁 英語インタビュー ハイライトあり https://t.co/dAgy8dDM7S @YouTubeより
— だぅも (@takaponpoball) December 2, 2017
2017年のインタビューでは既に英語ペラペラになっていたのですが、元々は大学入学準備の勉強を始めるまでは、全く英語が話せなかったのです。
NCAA(全米大学体育協会)の基準も厳しく、もし勉強がおろそかだったりすると、登録選手から外されてしまいます。
さらにゴンザガ大学の選手としてプレイするには、ゴンザガ大学の入学にあたり、八村塁選手は英語力に関しても、厳しい基準をクリアしなければなりませんでした。
もし基準をクリアできなければ、大学に入学できず、大学の前の予備校的な学校(プレップスクール)に入ることになってしまうのです。
バスケをするためにゴンザガ大学に行くと決めた八村塁選手に、プレップスクールの選択肢はありませんでした。
そのために八村塁選手は明成高校のバックアップを受け、猛勉強してその基準をクリアしたのです。
渡米前とESLで英語を猛勉強

八村塁選手は、渡米前にも英語を猛特訓し、渡米後もESLで英語を猛特訓しました。
渡米前の英語の特訓は
八村塁選手は渡米前に、高校3年生で在学中で、大学入学のための勉強、英語の特訓をするだけではなく、ウインターカップでも明成高校を優勝に導いて、大会三連覇を成し遂げています。
それだけでなく、八村塁選手は明成高校の先生や、ネイティブの家庭教師について、一日に8時間も勉強をしたそうです。
バスケの練習に加えて8時間の猛勉強。それもアメリカでバスケをやるためなら、苦ではなかったのでしょう。
SATという、アメリカの大学入学基準テストを何度も受けて、徐々に点数があがっていきました。
明成高校を卒業後も、渡米までの数ヶ月、学校の寮に残って勉強とバスケの練習に励んでいたそうです。
渡米後もESLで英語の猛勉強

八村塁選手は、渡米後にゴンザガ大学内でESL(英語を母国語としない学生が英語を習得するための科目)で学び、入学資格を得ることになりました。
9月の入学までの3ヶ月の間に大学入学基準を満たすために、八村塁選手は大学の支援を受けて家庭教師についてさらに猛勉強しました。
渡米した時点では、ゴンザガ大学への入学資格はなく、その3ヶ月が勝負だった八村塁選手でしたが、勉強の結果、見事に入学基準を満たしたのです。
この3ヶ月間は八村塁選手もけっこう不安だったのではないでしょうか。この試練を乗り越えられたのも、バスケに対する情熱のなせる技でしょうね。
八村塁選手、目標どおり2016年の9月よりゴンザガ大学の選手としてプレイする資格を得ました。
ゴンザガ大学入学後も英語の壁で苦しみ、乗り越えた

八村塁選手は入学してからしばらくは、レッドシャツを着ることになり、試合にでることができませんでした。
ゴンザガ大学入学後にどんな風に英語力が伸びていって、それが八村塁選手のプレイにどういう影響を与えたのかみてみましょう。
入学当初は英語の理解が難しかった

バスケットボールは、チームプレイです。もし言語の理解が完璧にできていなければ、100%のプレイをすることができません。
八村塁選手が入学当初にレッドシャツを着て試合にでることができなかったのは、チーム側もそのことに配慮したことが大きかったのでしょう。
コーチからの指示が理解できずに、苦しんだ時期があったそうです。
八村塁選手自身も、英語を理解できないことにかなりストレスを感じていたのだそうです。
周囲の協力や自身の努力で英語の壁を乗り越えていく

八村塁選手は環境的にも周りはネイティブだらけで、英語を覚えざるをえない環境ではありました。
しかし英語にも、普段の会話、大学の授業での英語、コートの上でのバスケ用語といろいろな種類があります。
普通に理解できるようになるには、努力したのでしょうね。渡米1年後の2017年末頃には、八村塁選手は驚く程に英語が流暢に成長していました。
TVドラマや歌でも勉強したそうですよ。八村塁選手はドラマ「ヴァンパイア・ダイアリーズ」を見て英語を覚えたりしていたのだとか。
しかし八村塁選手は日々英語の壁を乗り越えて進化中なのです。2017年12月1日の試合では、コーチの指示がやっぱり理解できなくて、混乱したと告白しています。
今後も英語の理解が深まれば深まるほどに、成長しそうな八村塁選手ですね。
まとめ
八村塁選手の英語力についてまとめました。
元々ネイティブなわけでもなく、今も引き続き英語の壁を乗り越えながら、バスケ選手として日々成長する姿、とてもかっこいいですね。
今後も八村塁選手を応援したいと思います。