半導体業界の巨人、レーザーテック。その名は、最先端のEUVマスク検査装置市場における「独占」という言葉とほぼ同義で語られてきました。しかし、その強固に見える牙城の足元で、市場構造を静かに、しかし確実に変える地殻変動が起きています。多くの投資家や業界ウォッチャーが抱く「常識」は、もはや現実を正確に映し出していないのかもしれません。
本記事では、専門家の視点から、レーザーテックを巡る市場の裏側に隠された3つの意外な真実を解き明かしていきます。
1. 真実①:サムスンの「レーザーテック離れ」は、完全な決別ではない
最近話題となったサムスンの動向は、単なる「レーザーテック離れ」という言葉では片付けられません。この変化の鍵を握るのが、「CNT(カーボンナノチューブ)ペリクル」というゲームチェンジャーの登場です。
従来、マスクをゴミから守るペリクルを装着したまま検査を行うには、EUV光(波長13.5nm)を用いるレーザーテック製の高価な装置(ACTIS)が唯一の選択肢でした。なぜなら、従来のポリシリコン系ペリクルは、より安価な装置で使われるDUV光(波長193nmなど)を透過しなかったからです。しかし、サムスンはこの高価な装置を競合のTSMCやインテルほど確保できていないことが弱点とされてきました。
ここでCNTペリクルがブレークスルーをもたらします。CNTペリクルはDUV光を透過するという画期的な特性を持っているのです。これにより、サムスンは「ペリクルを装着したまま」行う高頻度の定期検査において、KLAなどが提供する、より安価で入手しやすいDUV検査装置を活用する道を開拓しました。この戦略転換は、運用コストを40%近く削減できる可能性を秘めています。
これはサムスンにとって、長年の競争上の不利を克服し、コストを削減し、サプライチェーンの柔軟性を確保するという極めて戦略的な一手です。つまり、全面的な取引停止や決別ではなく、用途に応じて最適な装置を使い分ける「依存度の戦略的な引き下げ」と理解するのが正しい見方です。
2. 真実②:市場は「奪われる」のではなく「二極化」する
サムスンの動きは、レーザーテックのビジネスが全て奪われることを意味するわけではありません。むしろ、EUVマスク検査市場が、目的によって2つの異なる市場へと「二極化」していく兆候と捉えるべきです。
- パスA:究極の品質保証 マスク製造の初期段階で内部に潜む「位相欠陥」のような、ごく微細な欠陥を発見するための検査です。これは半導体の歩留まりを左右する最もクリティカルな工程であり、主にマスクショップでの最終出荷検査や、半導体メーカー(ファブ)での受け入れ検査で実施されます。この領域は現在もレーザーテックの装置でしか実現不可能であり、最も付加価値の高い独占領域として今後も揺るぎないでしょう。
- パスB:量産中の定期検査 半導体メーカー(ファブ)の量産ラインでマスクを使用する中で、後から付着する単純な異物(fall-on particle)をチェックするための検査です。ここでは究極の精度よりも、コストと効率が重視されます。CNTペリクルの登場により、この市場にKLAなどの競合が参入する道が開かれました。
「全て奪われる」わけではありませんが、市場が二極化し、レーザーテックの独占市場だった領域に競合(KLAなど)が参入してくる、と理解するのが正確です。
結論として、レーザーテックは「完璧な設計原版を認定する」というビジネスの根幹は維持しつつ、「量産中に原版が汚れていないかを確認する」という、より広範な市場では競争に直面することになります。市場は縮小するのではなく、役割分担が進んでいくのです。
3. 真実③:最大の顧客は、自らマスクを作る「内製メーカー」である
レーザーテックの顧客と聞いて、多くの人はDNPやトッパンといった専門の「マスクショップ」を思い浮かべるかもしれません。しかし、最先端のEUVマスク市場における現実は異なります。TSMC、サムスン、インテルといった巨大半導体メーカー自身が、マスクを自社で製造する「内製化」が主流となっており、その比率は実に7割に達しています。
彼らがマスクを内製するのは、単なるコスト削減が目的ではありません。チップ設計、マスク製造、ウェハ製造のサイクルを高速化し、サプライチェーンの管理を強化し、そして何よりも「技術的な機密情報を保護する」という戦略的な意味合いが強いのです。
これにより、半導体製造の最先端領域では、外部の専門メーカーに依存するのではなく、半導体メーカー自身がマスクを製造・管理する「キャプティブ(内製)モデル」が支配的になっています。レーザーテックにとっての最大の顧客は、チップを作る者その人たちなのです。
結論:まとめ
本記事で解き明かしたように、サムスンの動きは決別ではなく依存度を最適化する戦略的シフトであり、市場は奪い合いではなく高付加価値領域と効率重視領域へと「二極化」が進んでいます。そしてその最先端を走る顧客は、外部の専門業者ではなくチップメーカー自身の「内製部門」なのです。これらは、レーザーテックを取り巻く市場環境が、私たちが思っている以上に複雑でダイナミックに変化していることを示しています。
レーザーテックの品質保証における絶対的な地位は当面揺るがないでしょう。しかし、その周辺では、半導体業界のサプライチェーンがより複雑で戦略的なものへと進化を遂げています。
技術の進化は、絶対的な王者の座を揺るがすのではなく、新たな市場と役割分担を生み出していくのかもしれません。次に業界地図を塗り替えるゲームチェンジャーは、どこから現れるのでしょうか?